(k)night of SAVANNA #1
青春ってのはつまり、人生のある一定の時期を指す。「始まり」と「終わり」があるわけではなく、こちらとしてはそれまでの毎日となんの変化もない。ただ、あとからその時期を思い出して「青春」と呼んだりするのだ。つまり、青春なんてものはあとから美化された代物であって、実は存在しない。そこに、存在しないものに何か良い、ポジティブはイメージを付加するのは、例えばクルーラハックを怪獣だと決め付けるようなものだ。
となると、風ってのは空気の振動や流動のことだし、雲ってのは水氷の粒の集合体のことだ。光ってのは、電磁波のうちの波長が3.8~7.7×10^-7 [m]のものでしかない。そしてオレは、一有機物塊に過ぎない。
#1.
1.
12月18日月曜日。退屈な日常が始まる日だ。といっても、昨日が退屈でなかったとは限らない。昨日も退屈だった。ただ一週間を、五日間の似た行動を繰り返す期間と、二日間のそれとは違った似た行動を繰り返す期間とに分ければ、五日間が第一セクションなのか第二セクションなのかは知らないが、月曜日は五日間のセクションが始まる日だ。
ただし今回のセクションは他と少し違って、一週間が七日間の似た行動を繰り返す単調な旋律にモジュレーションする直前のセクションなのだ。それで周りはさわさわとなにやら落ち着かずにいるが、モジュレーション後も日常が退屈なことに変わりはなく、むしろ一週間のうちにセクションがひとつのみになることにより、かえって日常が退屈になる。
どう変わるかはともかく、このセクションで日常がモジュレーションすることは確かだ。ただ俺はこのとき、モジュレーションの大きさを見誤っていた。
ここで俺は、前を歩いていた禿《チビ》にぶつかる。こいつは禿《チビ》の上に禿《ハゲ》だ。昔はタカと呼ばれていたが、禿げてからは(頭を丸めてからは)ハゲタカと呼ばれている。
「痛ぇな。急に立ち止まるなよハゲ」
「ハゲじゃねぇよ。期末の順位出てる。レオ、お前二位だぜ?やっぱ一位はハイエナか」
確かにここから見れば、榛原英生の下、高橋麻美の上に広瀬宏哉と記されているが、あと五歩前に出て振り返ってみれば、多分にじんで俺の名は読めないはずだ。つまり期末考査の順位など、この場にいなければ見ることもできず意味がない。それは三秒後の未来、五歩前に出た俺が証明してくれる。
冬の朝は寒いが、この眠気はどうにも覚めない。俺は眠気を引きずって部室へ向かった。部室に向かうということは、俺はなにかしらの部活に所属しているのだが、それがなんだったかは今となってはもう思い出せない。高一の秋、俺らはつるんでいた五人で部員のいない部活に入部した。それが何部かは問題でなく、部員がいないことが重要だった。つまり空き室になっていたその部の部室を、私用できる空間にしたかったのだ。
部室に着くと、俺は持っていた鍵で扉を開ける。部室の鍵は、朝その部の部長が教務室に行き受け取り、帰りに教務室へ返すことになっているが、俺は常に部室の鍵を持っている。俺だけでなくうちの部員は全員、部室の合鍵を持っている。いや、全員というのは間違いで、誰かひとりがオリジナルで、他の四人が合鍵を持っているのだが、誰がオリジナルだったかは忘れてしまった。五人のうち誰かがオリジナルの鍵を持っていて、教務室にわざわざ合鍵を届けてやることもしないのだから、教務室にうちの部の鍵はない。うちの部の鍵がぶら下がっているべきところには、高一の夏休みに取り壊された校舎裏の倉庫の鍵が収められている。七月、裏倉庫の鍵が紛失したことが問題となったが、中のものは全て運び出してあったし、どうせもうじき取り壊すのだからと、すぐに事件は落ち着いた。秋になって俺たちは入部し、頃合を見て盗んでおいた裏倉庫の鍵と部室の鍵を摩り替え、今に至るわけだ。部室を私用することも、この計画も、考えたのはハイエナだった。
中にはすでにワニがいた。ワニはソファにどっかりと座り、ジャンプを読んでいる。今日発売のものでなく、先週のものだった。このソファはもっぱらワニが独占している。
「ワニ、お前だけ独占してねぇで、場所譲れよ」
「ワニは川んとこにいるもんだろよ。お前は空飛んどけよ」
ハゲタカは別に気にする様子もなく、テレビゲーム機の電源を入れる。戦闘機のシューティングゲームだ。この革のソファは、去年の春ワニが粗大ごみの中から見つけ出し、サイと二人で運び入れてきたものだ。この部屋には他にも、ダーツだのトランプだの漫画本だのと、誰かが持ち込んだものが色々と置いてある。隅に転がっている、テーブル代わりのミカンの段ボール箱は二代目で、初代のものは一昨年、ハゲタカとハイエナが喧嘩をしたときに潰してしまった。
「なぁレオ、ストーブってどうなるんだっけか?」
「サイが持ってくるとか言ってたけどな。ワニ、今日サイ来たか?」
「あー、来てねぇよ」
色々と充実していそうなこの部屋だが、ソファだのダーツだのはどこからか持ってくるくせに、なぜか扇風機とストーブは今日まで持ち込まれていない。俺たちは扇風機のない夏とストーブのない冬を二度ずつ越した。
2.
「腹が減った!!」
背もたれを倒した座椅子で寝ていた俺は、その言葉で目を覚ました。
ワニはソファで漫画本を読んでいる。背表紙にプロットがないから講談社だ。この部屋にある漫画本はどれも、集英社か講談社だ。
「腹が減った!!」
動じないワニに向かって、もう一度ハゲタカが叫んだ。
「うるせぇな。今日のメシ番誰だよ」
俺は身体を起こしながらハゲタカを治める。いつからそうなったか定かでないが、いつの間にか昼飯は誰かひとりが全員分を買いに行くようになった。
「金曜は俺だったから今日はハイエナだ」
「ハイエナはしばらく学校来ねぇって言ってたじゃんよ。あいつ出席足りてるしさぁ」
ワニは漫画本に目を落としたままそういう。
「はぁ!じゃあ今日どうすんだよ?」
「いちいち叫ぶなハゲ。ハイエナ抜かして回せばいいだろ」
「ハイエナの次はサイだなぁ」
「サイは?」
「さぁ」
「さぁって。じゃあそん次のワニ行けよ!」
「なんでだよハゲ。俺行ったら明日どうすんだよ?」
「レオが行きゃいいだろ!」
「そしたらサイだけ一回少なくなんだろよ」
「それ言ったら、ハイエナは何回少なくなんだよ!?」
「はぁ、ハイエナなんて来ねんだからメシ食わねぇだろ。食わねぇヤツ数えてどうすんだよ」
ワニとハゲタカの会話はいつも喧嘩しているように聞こえるが、別に本人たちにそのつもりはない。しかし本人たちにそのつもりはなかろうと聞いているほうは耳障りだ。
「うるせぇよお前ら。そんなもんジャンケンで決めりゃあいいだろ」
あれがもし、大御所漫才トリオのように第三者に損な役回りを押し付けるための一連の流れだとしたら、俺は心からワニとハゲタカを尊敬したい。漫才のほうは事前に決められたものなのだが、こちらはそんなことはなく完全に「聞いてないよ」なのだ。こうして俺は今コンビニで昼飯を購入している。金曜も俺だったのに。
全くこの世界というのは理不尽だ。完全に理不尽というのはおそらく、実は究極にシステマティックで計算しつくされている。すべてに理解を許さない。寸分の狂いもなく回り続ける歯車のような理不尽の中で、俺がどんなにそれを理不尽だと訴えようと、誰にも聞き入れられない理不尽さもまた、計算しつくされた結果である。俺は運命論者ではないが、計算しつくされている以上、人は永久に理解に至ることはないのだろう。
さらに計算しつくされている理不尽な世界であるが、計算しつくされているがゆえにその時は唐突に訪れる。
「百円恵んでいただけませんか」
その言葉の意味を理解するのに優に十秒はかかった。そして優に十秒かかった結果、俺はこの女性が俺に百円を恵んでほしいと請うているとの理解し達した。当然、理解と同時にこの女性を怪訝に思う。
「……何ですか」
「だから、百円恵んでいただけませんか」
「……いや、だから、なんでですか」
「そんなのおにぎりを買いたいからに決まってるじゃないですか」
俺はたとえば人間原理を多少は理解できているから、その言い分に対して同意するか否かは別として、原理そのものを否定はしない。だが理解できていないハゲタカは原理そのものを出鱈目だと訴える。つまり俺が今直面している状況もそれと全く違わず、彼女は俺の理解を遥かに超えているのだから俺は彼女の思考を理解できない。
この女性が俺に声をかけてからまだ一分ほどであるが、その一分で推測できることは、おそらくこの女性は人にものを説明するときに小前提を欠落させてしまう癖があるらしい。思うにこの女性は財布を忘れたか何かで、おにぎりを買うだけの金を持ち合わせておらず、俺にその金を恵んでくれと請うているのだろう。そもそもこの店にあるおにぎりの最低額は百五円だから、運よくポケットに五円だけが入っていた可能性を除けば、俺から百円を恵んでもらったところでおにぎりを購入することは出来ない。
この女性の言い分には数多く破綻している部分があるが、それらを逐一正してやるだけの理由もないから、俺は勤めて紳士的におにぎりをふたつ購入し彼女に渡してやった。それから勤めて紳士的にその場を立ち去ろうとした。
「あ、あの、待って」
ここで振り返ればまた理解の及ばぬ言動を浴びせられるであろうから、俺は聞かずに店を出ようとした。
「なんでしゃけなの」
つまりこういうことだ。完璧に計算しつくされた理不尽の中で俺が何を叫ぼうとも、そこから抜け出すことは出来ないのだ。
3.
日常が退屈だというのは、つまるところ日常が「常《つね》」であることに由来する。暇なのかと問われれば、案外いろいろとやることがあったりするし、こうやって部員たちと会話していることが面白くないこともない。だがそれはきっと刹那的な快楽であって、永続的な幸福ではないのではなかろうか。永続的な幸福が刹那的な快楽によって構成されているとしても、それが日常化、つまり常《つね》、デフォルトの状態になって、ただ単調なリズムを刻むばかりでは、やはり快楽は退屈だ。
ではここで、デフォルトである快楽の合間に不快要因を織り込んでみてはどうかと考える。アクセントにはなるだろうが、言わずもがな、不快要因は不快である。長期的な利益のために、あえて損失をすることにどれほどの意味があるのだろうか。そもそも痛みは心に残る。やはり後味の悪さを考えれば、不快要因を望むべきではない。
「ツナマヨってさぁ、後味が悪くねぇ?」
「別にそんなことないよ。少なくともしゃけよりは全然いい!」
なるほど、望まずしても訪れるから不快なのか。
「なんでお前がここにいるんだよ」
「いいじゃん!ご飯はみんなで食べたほうがおいしいよ」
「いいじゃんかぁ、メシはみんなで食ったほうが美味いんだからよぉ」
「おう!いいじゃん一人増えたくらい」
ワニとハゲタカがへらへらと賛同するのも気に入らない。
「なぁ、サイ」
「……追い出す理由もない」
このサイという男は、がたいはいいくせに多数決に弱い節がある。自分が反対側に入っても三対二にしかならないと読んでのことだろうが、そもそもこの女は母数に入れていいのか?
「てかよう、いつになったら点くんだよ、このストーブは?」
そう言ってハゲタカはサイが持ってきたストーブを小突いている。三年目にして持ち込まれた待望のストーブであるがどうやら俺たちの期待には応えられないようだ。
「ねぇ、ここの人ってみんな動物のあだ名の?」
「ん、まぁなぁ。だいたいみんな名前を文字ったあだ名なんだけど、レオだけは部長《リーダー》ってことでレオ」
「へぇ、レオが部長さんなんだ」
……だいたい俺はこういう幼稚な話し方をする女が嫌いだ。こいつの歳は知らないが、20年前後は生きているんだろうからそんな話し方をするのは馬鹿か阿呆だ。
俺は座椅子の背を倒し、女から離れたところで横になった。
「なんだよぉ。何すねてんだよレオ」
すねてはいないが、答えてやる気もない。
「あ、そういやレオさぁ、お前ジャンプ買ってきてないじゃんかよぉ」
知るか、そんなもの。「なあ、サイ。レオが女連れてくるとか珍しいな」と小声でハゲが言っているのも聞こえている。答える気は無いが、連れてきたのではなく、ついてきたのだ。
「まぁ、たまにはな……」
サイのこの言葉は何か気になったが、無視することにした。後ろでハゲが怒鳴る。
「それよかさぁ!全っ然点かねぇぞこれ!どうなってんだよサイ!!」
「……もともと使ってないものだったからな」
「叩けば点くよ、きっと」
「よぉし、じゃあ叩いてみるかぁ」
ドアの隙間から吹き込む風が冷たい。後ろでワニがストーブをドカドカ叩いている。
「んー。点かねぇなこりゃあ」
「ダメじゃんかよ!」
「……悪い。使えるか確認してから持って来ればよかったな」
「これで叩けば直るんじゃなない?」
「え…いや、それは流石にやばいぞ」
「大丈夫!」
後ろで空を裂く音がする。それをワニがなだめる。
「と、とりあえずここでバット振るのはやめようか……」
「大丈夫だって!」
――バコンッ!
「……お前らいい加減うるせえよ。そんなもんで叩いたら逆に壊れんだろうが」
――ボゥッ
「ほら点いた!」
なんだこいつは。つくづく気に食わない。全く不愉快だ。
鞄を引っつかんでドアを荒々しく開け放つ。「おぉいレオ、どこ行くんだよ」といつにもなく気に障るワニの間延びした声を背に、俺は部室を出た。