(k)night of SAVANNA #3
1.
俺の名は青井隆典。人は俺をハゲタカと呼ぶ。それはこの俺の猛禽の如き機敏さと鋭さに敬意を示してのことだ。嘘だ。本当はタカと呼ばれていたのだが、あるとき坊主頭にしてから、頭にハゲと付くようになった。言っておくが、俺は断じてハゲではない。
ついでに言っておくが、俺は断じてチビでもない。周りの奴らがでか過ぎるだけだ。確かに日本人成人男性の平均身長と比較したら、俺の167cmという数字はそれを下回るのかもしれない。しかしこれは平均値と比較した場合だ。あいつらはバカだから気付いていないのだろうが、平均値と最頻値は別物なのだ!
つまりこういうことだ。平均値を170cmとしたとき、仮にその中に身長200cmの怪物がひとり紛れ込んでいたとする。安易に考えれば200cmの人間がひとりいた場合、140cmの人間がひとりいることになる。しかしここで注意してもらいたい。身長200cmというNBA選手並みの怪物がひとりいるのに対して、身長165cmの人間が6人いても、平均値はなんと170のままなのだ!
身長200cmのNBA選手は存在する。しかしいくらなんでも、身長140cmの人間がそれと同数いるワケは……あれ?小学生とかならそのくらいだぞ?…………あ、違う!日本人の成人男性の話だ。小学生は関係ない。140cmの人間は同数いないから、NBA選手ひとりに対して160代の人間が複数……ん?日本人の成人男性って事は、NBA選手も関係ないんじゃ??………………とにかく俺はチビではないのだ!
ところで今日は水曜日だ。普段、水曜日といえば退屈な5日間の折り返し地点で、「あと半分乗り切れば」と思うところなのだが、今日は少し違う。というのも、今週が終われば冬休みなのである。そういう訳で、今日はなんとなく生徒全員がそわそわしている。
と、去年の今日までなら俺も奴らと同じだったが、今年の今日は更にまた少し違う。少し焦りがあったりもするのだ。月曜日、なにやら行く当てがないと、ほとほと困り果てた女性が俺(達)のもとを尋ねて(レオが連れて)きたのだ。俺は優しく手を差し伸べてやったが、まったく漫画か小説のような話だ!そういう訳で、俺はどうにも、その女性のことが少しばかり気になってしまっていたりする。
かといって俺も中学生じゃあるまい。その女性に心を奪われただけで焦りはしない。俺が危惧しているのは、俺の周りのやつらのことだ。俺は部員の中ではピエロ的な役割だが、それは俺なりの責任感があって自らそれを買って出ているのだ。仏頂面のレオとサイ、堅物のハイエナ、のろまなワニだけでは上手く回らぬだろうと、俺が潤滑油の役割をしてやっているのだ。しかしその役割の所為で、この3年間で少なからず痛い目を見た経験があることも事実である。
どうやらレオとサイは有希を快く思っていないようだったから、気にすべきはのろまなくせに手は早いワニだけだろうと思っていた。しかし昨日のことである。なにやら有希がレオのことを気にしている素振りを見せたりするし、さらに二人が体育館で話しているのを目撃してしまったりしている。(何を話していたかは聞こえなかったが。)そんな訳で俺は焦っているのだ。手の早いワニと顔だけはいいレオの二人を相手にするのは、いくら俺でも難しい。当初ワニの隙を突こうと考えていたのだが、二人が相手となるとできるだけ短期間でけりをつけなければならない。そう、恋とは戦いなのだ。青い髪の女が叫んでた。
「青井!たまに授業に出てきたんだから集中しろ」
「え、あぁ、すんません」
短期間でけりをつけなければと思った矢先なのに、俺は今、授業に出ていたりする。たまには授業に出ないと卒業できない。その時その時の楽しさのために、卒業を逃すほど俺はばかじゃない。だがやはり落ち着かない。
ふと振り返ると、サイが俺を睨んでいた。あいつは目が細くて少しつり上がっているから、普通にしていても睨んでいるような目つきになる。だけどそう見えるだけで、本当に睨んでいる訳ではないのだ。あいつは本当はいいやつだ。ついでに言っておくと、部員の中でクラスが同じなのは俺とサイだけだ。
「よぉサイ、ちょっと話があるんだけどさ」
午前の授業が終わり、部室に向かう前にサイに話しかけた。有希とあまり話さないサイに相談するのもどうかと思ったが、レオとワニが敵に回って、かつハイエナは今学校に来ていないから残るはサイしかいなかった。
「……なんだ?」
「まぁ大した事じゃないんだけどさ、なんつうか、有希のことなんだけど」
「……あぁ」
「別になんかあって聞いてる訳じゃないけどさ、お前、有希のことどう思う?」
「……どうって?」
サイは、よく言えば無駄な言葉を省いて、必要なことだけを伝えるスマートな話し方をするのだが、こっちからするとたまに会話しづらいこともある。
「いや、どうって……好きとか嫌いとか。いや、好きってそういうんじゃなくて」
「…………気に食わない」
サイはさらっとそう言って教室を出て行った。
「あ……そうか…………なるほど」
俺はサイの背中に向かって、そう呟いた。サイに聞こえたとは思っていないが、言ったあとでこう思った。
何がなるほど、なんだ。
2.
愛は活力の源とか。どうなのかしらないけど。
サイに遅れて部室に向かう途中で、レオに会った。中庭を臨む窓に肘をかけて、パンをかじっている。部室にはいかないみたいだ。
「よぉレオ!部室行かねぇの?」
レオは俺のほうをちらりと見て、まぁな、と短く答えた。実はと言うと、昨日レオと有希が何を話していたのかすごく気になる。思い切って聞いてみた。
「あぁ。レオさ、昨日部室出ていったあと、どこ行ってたんだよ」
「別にどこへも。その辺をふらついてた」
レオは外に目をやったまま答えた。
「なんかさ、有希と話してたじゃん」
「……話してねぇよ」
なんで隠すんだ。
「体育館にいただろ」
「……お前、何が言いたいんだよ」
「いただろ?」
「……いたかもな。その辺ふらついてたって言っただろ。たまたま寄ったんだ」
「俺、そこでお前と有希が話してんの見たぜ」
レオは相変わらず無表情を装っていたけど、確かに動揺した。そしてゆっくりと俺のほうを向く。
「……だったらよ、初めからそう言えばいいじゃねぇか。なんで探り入れるような真似しなけりゃなんねぇんだ」
レオはまっすぐ俺を見て言った。俺は一瞬、正直怖かった。レオのこんな顔を見るのは久々だ。俺はやっと、声を絞り出した。
「お、お前が変に隠すような真似するからだろ」
そう残しその場を立ち去った風を装ったが、多分声が裏返ってた。なんだ、俺。情けねぇ。
なんだ、サイもレオも妙にぴりぴりしやがって。別に俺が原因じゃあるまいし、あいつらの苛立ちで、俺が不快感をこうむる必要なんてまったくないはずだ。
不快感をぶつけて扉を開けると、有希がテレビの前で身体を丸くしてこっちを見ていた。
「……びっくりした。なんだ、ハゲタカくんか」
俺が勢いよく扉を開けたのに驚いたらしい。
「あぁ、ごめんごめん。あれ、ワニは」
「お昼買いに行ったよ。他にだれも来ないんだもん」
そういって有希はテレビのほうへ向き直る。画面には、ほとんど2年ぶりにぷよぷよの画面が映し出されている。
「ぷよぷよとかあったなら、私もやりたかったのに。なんで教えてくれなかったのよ」
「あー、俺も忘れてた。そういやあったな、ぷよぷよなんて」
実際すっかり忘れていていた。「みんなでできるゲーム」というワニのリクエストでハイエナが持ってきたソフトだが、誰もハイエナに勝てず使われなくなっていった。そもそもが、俺はもともとこの手のゲームが苦手だ。レオとハイエナはあまりゲームをしないし、リクエストしたワニも普段マンガばかり読んでる。だからゲーム機自体が俺が使っているか、ごくたまにサイが安っぽい麻雀のソフトをするくらいだ。自然とぷよぷよは忘れ去られていった。
「よし、じゃあ対戦しようよ」
「あー……俺、苦手なんだよな」
「私は強いよ!」
「強かったら勝負にならないじゃんか……」
「大丈夫、手加減するから」
どうも俺は押され弱い。2年ぶりにぷよぷよをはじめる。
「買ってきたぜー……て、来たじゃん、ハゲ。お前の分、買ってきてねぇからなぁ」
間延びした台詞とともにワニが帰ってきたようだが、ちょっとそれどころではない。
「今話しかけんな!」
俺は今、埋まるか否かのギリギリのところで奮闘している。
「おー、そういや、こんなゲームもあったなぁ。どっから見つけてきたんだよ?」
「ごめんね、今ちょっと手が離せないから」
一方で有希も、埋まるか否かのギリギリのところで奮闘している。つまり俺は「強い」と豪語した有希と、なんと接戦を繰り広げている。
「…………………………」
なんだか、無言でいるワニの気配が気になる。何か言いたそうな気配がひしひしと伝わってくる。その気配に気をとられて、ついに俺の画面が埋まってしまった。
「やった!勝った!」
「なんだよ、ワニ」
ワニを睨みつけてやる。
「なんだよって、なんだよぉ。別に何も言ってないじゃんかよ」
「さっきから、何か言いたそうな感じがひしひと突き刺さってくる」
「気のせいだろうよ、そんなの。負けた言い訳じゃねぇ」
「いやー、それにしても接戦だった。ハゲタカくん、苦手とか言って本当はなかなかやるじゃん」
「あー、なんか、久々にやったらできた」
「………………」
「ほらぁ!それだって!何か言いたいなら言えよ!!」
「まぁー、楽しんでりゃあ別にそれでいいと思うけどさぁ、接戦って多分、邪魔ぷよ投げ合うようなことを言うんじゃねぇの」
まぁ、実は二人とも下手なだけとか。なんとなく、そんなオチな気はしてたけど。
3.
結局昼は3人で食べた。レオもサイも部室には来なかったんだ。まぁ、レオは廊下でパンを食ってるのを見たから、来ないことは分かっていたんだけど。サイはどこへ行ったのか分からない。レオやサイには悪いが、この3人でいると何もギクシャクすることはなかった。有希が来る前の5人みたいに。
ただ、そんな中でも俺はそわそわしていたりした。「ワニ面白い」とか「ワニ凄い」とかそんな有希の言葉がちまちま気になる。過去のワニに醜態を話題にしてやったりすると、有希は「まぁ、そんなものワニらしいよね」なんて言うし、ワニには本気で殴られるし、何もいいことはなかった。
「あれ、そういえばよぉ、ハゲ」
「ハゲじゃねぇよ」
「お前、授業行かなくていいのかよ」
「……あ!」
すっかり忘れてた。実のところ俺は出席日数がぎりぎりだったりしている。他のやつらは、いつの間にかちゃっかり日数を稼いでいたらしいが。
「お、おぉぉ、じゃあ、ちょっと行ってくる!」
そういって俺は部室を飛び出して、全力で走る。授業開始時に教室にいないと、3分の2出席になるという、よく分からんルールがあるらしい。俺はそれをつい最近知った。他のやつらは1年のころから知っていたらしいが。それがそのルールを知ったとき「なんで教えてくれなかったんだよ」と抗議したら、「なんで知らねぇんだよ」と見下された。
教室に滑り込む少し前にチャイムが鳴ってしまったのだが、まだ教員が来ていないからぎりぎりセーフだ。サイが俺を睨んでいる。だがさっきも言ったように、本当に睨んでいる訳ではない事を俺は知っている。もともと睨んでいるように誤解されるような顔つきなのだ。サイは本当はいいやつだ。
目が合ったから、なんとなく話しかけた。
「おぉ、サイ。お前なんで部室来なかったんだよ」
「……俺が行かないと何か問題があるのか」
「あ……あー、別にそんな訳じゃねぇけど。つまんねぇじゃん」
やはりそこで会話が終わる。そこへ教員が入ってきて、座るように促された。
俺は自分の席に着き、葉の落ちきった校庭の木をぼんやりと眺めながら考えていた。『俺が行かないと何か問題があるのか』そうサイは言った。でもサイやレオが来たら、また何かギクシャクしてしまっていたかもしれない。あいつらがいないほうがいいなんて、友達甲斐のないことは言わないけど。
さっき、今日の雰囲気が有希が来る前の5人のようだと思ったことを、ふと思い出した。そうだ。サイやレオが部室に来たって、ギクシャクするとか限らない。当然だけど。そうすると、以前と今で違うことといえば、有希がいるかどうかだ。別に有希がいるから悪いなんて意味ではないけど。そうだ、悪いのは露骨に嫌な態度をとるサイやレオだ。もちろん人間には相性があるけど、嫌いなやつだからって、露骨に嫌いオーラを振りまかなくてもいいじゃないか。そのへん、あいつらは子どもなんだ。
「……さっきの話だけど」
そうサイに話しかけられて我に返った。いつの間にか午後の授業は終わっていたらしい。
「……なんだっけ?さっきの話って」
「俺に、なんで部室に来ないのか聞いただろ」
「あぁ、それか。なんで来ねぇんだよ?」
「いや、なぜというか、俺が行かないと何か問題があるのか?」
俺の問いに、サイは問いで返してきた。さっきとおんなじだ。サイは何が言いたいんだ?
「だからさっきも言ったけどよ、別に問題なんかはねぇけど。ほら、俺たちさ、ずっと5人でつるんできただろ。昼休みも放課後も授業さぼるときも部室に行ってさ。だからお前とレオがいねぇのは、なんか変な感じがするっつうか」
「…………そうか」
「お前たちがさ、有希のこと苦手だって言うなら、別にそれでもいいと思うぜ。人間って相性あるじゃん。けどさそれを露骨に嫌がるような真似すると、周りも雰囲気悪くなるし、相手も傷つくし、まぁあんまりいい方法じゃねぇよな」
「……そうだな。……レオはどうしてる。あいつは部室に顔出してるのか?」
「いいや」そう答えた瞬間、そのことに思い至った。
「あぁっ!!」
「……なんだ、どうした?」
「レオが部室に行かなくて、俺とお前がここにいるってことは、今部室にはワニと有希の2人きりだ!」
「あぁ……そうなるな。それがどうした?」
「なに呑気なこと言ってんだよ!あの手が早ぇワニと2人きりだ!」
「……手が早い。あいつがか?」
ダメだこりゃ。そんなことを心の中で思う。こいつは目つきは鋭いくせに、どうも鈍感だ。まぁ、がたいが良くて無口な男、もしくはへらへらと喋る男は鈍感だと相場が決まってる。俺はサイに反論しようかとも思ったが、半ば呆れて言葉が見つからなかったのと、こうしてる間にもワニが何かしでかすのではないかという焦りから、サイを残して走り出した。
4.
部室の扉を勢いに任せて開けると、ワニと有希が目を丸くして俺を見た。
「なんだ、びっくりした。ハゲタカくんか」
昼間も同じようなことがあった。
「うるせえなぁ。静かに開けろよぉ。ハゲ」
「お、おぉ……悪い」
テレビの画面にはまたしてもぷよぷよが映し出されている。俺に目を向けていたから、有希の画面は埋まる寸前になっている。
「ああ!いつの間にか死にそうだ!ハゲタカくんがびっくりさせるからだよ」
「ごめんごめん」
よく考えてみれば、なにも血相を変えて走ってくるまでのこともなかったかもしれない。いくらワニとて、ここで襲ったりはしない。
「あー、死んじゃった。ワニ強すぎるよ。もう1回!」
「まだやんのかよぉ」
「だって私、1度も勝ってないもん」
そんなやりとりをソファに寝転がって眺める。ようやく呼吸が整ってきた。
「ちょっとその前に便所いってくる」そういってワニが出て行った。
「じゃあハゲタカくん」
「……え、何?」
「相手してよ。他に誰もいないし」
そういってコントローラーを付き渡してくる。もたもたと体を起こして画面に向いた。案の定2人とも早々に画面の半分まで埋まってしまった。2人とも黙々とぷよぷよを積んでいく、というか画面をぷよぷよで埋めていくというか。
部室内はコントローラーをかちゃかちゃと操作する音がするだけですごく静かだ。一応、部室にテレビを持ち込むなんて禁止されてる、というか「禁止する」と書かれた校則はないが、常識的にしちゃあいけないことだ。だからばれないために音を消して遊んでいる。まぁ、ほとんどの生徒は俺たちが部室を私有化してたまり場にしていることを知っているし、教員たちも呆れ果てて放置しているのが現状だから、「ばれないために」というのがどんな意味を持つのかは不明だ。
そして俺の画面が埋まった。
「……あ、負けた」
「…………ハゲタカくん弱すぎ」
「苦手だって言ったじゃん」
有希はあからさまにつまらなそうな顔をした。なんか空気が重たい。
「ワニ遅いなあ」そんな有希の言葉に過敏になったりする。
「ウンコじゃね」
「……汚い」
空気が妙に重たく感じるのは、俺が変に力を入れている所為だろうか。有希に気持ちを伝えるには、なかなかいいタイミングだと思ったりしている。だけど、いざ言うとなると、いろいろと思いとどまらせる考えが頭を過ぎる。有希と出会ったのは一昨日のことなのだ。こんなことを言ったら軽いヤツだと思われるだろうか。俺はそんなへらへらした男じゃない。だけど、物事にはタイミングというものがあり、それはあっという間に過ぎ去ってしまうものだということも知っている。
「あ、あのさ」
「……何?」
「あー、ちょっと……」
そこで扉が開いた。ワニだ。くそ、と思いつつも、内心ほっとしたりする。この雰囲気の中じゃ、どうしても勝機は見えなかった。
「ワニ遅いよー」
「あー、悪ぃ。レオと会ってさあ、ちょっと話してた」
「レオ、何か言ってた?」
レオを気にする有希が気になる。
「別にぃ。部室にこないのかって聞いたら、あぁ、つって帰ってった」
「そう……」
「何?」
「レオが来ないの、私の所為かな」
「…………」
「なっ、何言ってんだよ!そんなわけねぇじゃん!」
慌ててフォローする。ワニも、何このタイミングで黙ってんだ。ダメだ。雰囲気が最高に悪い。
「ちょっと来てくれる」
「え、何?」
「いいから、ちょっと」
部室を出たところで、自分の行動の唐突さを感じて、一瞬後悔したけど、もうこうなったら仕方ない、と腹をくくった。
「え、どこ行くの?」
「うん、ちょっと」
部室棟と体育館は隣接しているが、一度外へ出なくてはならない。空はほとんど藍色で、西の空だけほんのりと他より明るい。体育館へ入ろうとしたが、どうやらバスケ部が使っているようで、入り口ではたと足を止めた。
「びっくりした。急に止まらないでよ」
「あ、ごめん」
「中、使ってるんじゃないの?」
「うん、ここでいいや」
体育館の窓から漏れる灯りが微かにあるだけで、かろうじて輪郭は見えるものの、表情は全く見えない。心理学とか全く知らないけど、こう暗いところにいると不安、というかマイナスの気持ちが増幅されるんじゃないだろうか。しまったな。いろいろとうまくない気がする。だが、ここまで来てしまったら、もう後には引けない。そもそも、さっき腹をくくったんじゃないか。
「あ、あのさ」
「うん……」
まず何から話そうかとか、どんな言葉を遣ったら印象がいいかとか、今更そんなことを考える。だけど、考え始めてしまうと、そんなものはほいほいとは出てこない。大体、こうして向かい合ってしまっているのだから、そんなことをたらたら考えて、黙りこくっているのも良い選択じゃあない。我ながら煮え切らないのにイライラする。
「なんか、うまい言葉とか全然思いつかないから、単刀直入に言うけどさ」
「……何?」
「俺、有希のことが好きだ。会ったのはつい一昨日だけど、一目惚れっていうか、いや、俺はそんな軽い男じゃない、と自分では思ってるけど、実際軽い気持ちじゃないし、なんていうか……」
「単刀直入だけど、後ろの弁解が長い」
「あ、うん……」
有希は一度息を吐いてから口を開いた。
「ハゲタカくんのことは好きだよ。気持ちを伝えてくれたことも嬉しいし」
「う、うん……」
「けど、お付き合いはできません。ハゲタカくんは何も悪くないよ。これは私の問題なんだけど……うん、ごめんなさい」
妙に丁重な言い方だった。当たって砕けたショックというよりも、有希の物言いに戸惑い言葉を失ってるうちに、有希はもう一度「ごめんね」といって振り返り、歩いていった。
暗闇の所為でどんな顔をしていたか全く見えなかった。有希の普段(3日間だけど)見せない表情と、準備万端とは程遠い突拍子のなさからの不完全燃焼感と、それなりのショックを消化するまで、俺はその場に立ち尽くしていた。
5.
ハゲタカが急に有希を連れ出したから、俺は部室に一人取り残された。しかたないからマンガを取り出しソファに寝そべる。なんだか、こうしてひとりソファに寝そべっているのも久々な感じがする。あぁ、そうか、月曜からずっと有希がいたもんな。
ふと扉を見ると、曇りガラスに人影が映っている。体格から多分サイだとわかった。俺はマンガに視線を戻したが、しばらくしてもサイは入ってくる様子も立ち去る様子も見せない。俺はマンガをソファに投げて、扉を開けた。
「よぉ、どうしたんだよ」
面食らった様子のサイが立っている。
「……通りかかっただけだ」
「そんな常套句を。5分くらいこうしてるじゃんかよぉ」
サイは自嘲するような顔をした。
「入んねぇのぉ?」
サイは無言で部室の中を眺める。
「なんなんだよぉ、お前もレオも。何が気に入んねぇのか知らねぇけどよぉ、正直そんな態度されると気分悪ぃよ」
「……あ、いや、すまない。それは分かってるんだ。だから、入れなくてな」
「……は?来ねぇのが気分悪いって言ってんじゃんか」
「………………」
サイはまた黙り込んだ。だけどどうやら、どう話すべきか整理しているような、そんな感じだった。だから俺は待つことにした。
「鈴木さんのことを……」
サイが口を開いた。鈴木というのが有希のことだと一瞬分からなかった。サイが彼女の名を口にしたのは初めてだったかもしれない。
「鈴木さんのことを嫌っているわけではないんだ。少なくとも俺はな。ただレオは、難しい奴だろあいつは。誰とでも友好的に付き合えるわけじゃないのはあいつの性格だし、変な言い方だけど、それを含めてあいつらしいと思うから、絶対的に悪いことではないと思うんだ」
「まぁ、そうだな。たしかにレオは有希ちゃんみたいなタイプは苦手みたいだし、あいつも器用じゃねぇからストレートに出ちゃうんだろ」
「レオが鈴木さんを避けて部室に来ないのは、問題じゃあないと思うんだ。相手に不満を持っているとき、それを話し合って直すのはたしかに解決策であるけど、一切干渉しないってのも解決する方法のひとつだ」
たしかにそうだ。一見おかしなようだけど、たしかに干渉しなければ気にもならない。
「長い目で見れば得策ではないだろうが、この状況が長く続くとは考えられないし、だったらそれでいいじゃないか。だが、レオが部室を出て行ったりすると、俺たちはどうしてもあいつの態度を快く思わないだろ。お前がさっき俺に言ったように」
「あぁ……。だけど、それとお前に何の関係があんだよ?」
そう自分で言ったときに、その考えに思い至った。俺は態度の悪い「レオとサイ」に不快感を感じていたんだ。だけどまさか、そんなことのために?
「…………あいつひとりが敵にならなくてすむだろ」
「おい、いや待てって、なんで…………なんで、そんなことを」
「レオはああいう性格だしな。人と付き合うなかで問題にならないこともないんだろうが、今回だけの話で考えれば、それを乗り越えるより回避したほうが楽だろ。だけどそうすると、お前たちから悪く思われるからな。でも、俺もお前らから悪く思われてれば、ちょっとは気が楽になるだろ」
「い、いや、それは分かるんだ。その理屈はなんとなく分かる。なんでお前はそこまでして……」
俺は混乱していた。いや、混乱しているのではなく、サイの考えが解せなかった。理屈は分かる。だけど自分を悪者にして、そう振舞う動機が分からなかった。
「…………まぁ、馬鹿らしいよな」
サイはまた、自嘲するような顔をする。
「………………」
今度は俺が黙り込んでしまった。サイはそれを見て口を開く。
「……お前は、どうなんだ?」
「……え?」
「彼女のこと、どう思ってるんだ?」
「どうって……なんともねぇよ」
「あまり快くも思ってないだろう?」
どういう意図でサイがそう言っているのか分からない。
「別に……普通に接してんだろ。お前たちに対するのと同じように」
自分で言った言葉を聞いて、「接する」という言葉を使ったことに気がついた。
「……そうか、俺はお前が、彼女を快く思っていないように感じたんだけどな」
「………………」
「……レオも、あいつのこと良く思ってないだろ」
有希のことを「鈴木さん」とか「彼女」と言っていたサイが、「あいつ」という言葉を遣ったのは俺のためだろうか。いや、それは考えすぎかもしれない。
「なんで……知ってるんだよ」
「……お前が、繕ったような顔をしていたからな」
「はっ…………本当にか。そうか。顔に出ねぇように気をつけてたんだけどな」
見透かされていたことが、妙に小恥ずかしい。
「別に、あいつのことが嫌いってわけじゃねぇんだよ」
小恥ずかしさを紛らわすために、そう取り付けてみた。だけどすぐ、サイに「分かってる。言葉の節々が気にかかる感じだろう」と言われてしまった。そこまで見透かされているんじゃ、もうどうにもならない。自分が馬鹿みたいに思えた。
「はっ…………なんだよそれ。」
それからしばらく二人とも言葉を言わず、しばらくしてサイがようやく口を開いた。
「……じゃあ、話がそれたけど、そういう訳で俺は部室には寄らないからな」
俺は突っ立って、歩いていくサイを見やっていた。しかしサイは、しばらくあるくと立ち止まってこっちを見た。
「……あぁ、俺も大概馬鹿らしいけど、お前も言葉遣いに気をつけろよ」
サイはそう言ったが、意味がさっぱり分からない。
「…………え?俺、何か気に障ることでも言ったか?」
「……いや、そういう意味じゃなくて、言葉遣いに気を抜くなよ」
微かに微笑むようにそう言って、サイはまた歩いていった。俺の頭の中には「言葉遣いに気を抜く」という聞きなれない言い回しが響いていた。
しばらくして、俺はその言葉が何を意味しているのか理解してしまった。その瞬間、俺はサイに対する畏怖と、自責の念と、どす黒い絶望と恐怖に包まれた。