(k)night of SAVANNA #5
1.
12月22日金曜日。今日は、朝から生徒みんなが何かそわそわとしている。今日は2学期の終業式で、明日からは冬期休暇となる。ところがうちの高校は、午前中は通常通り授業を行い、昼休みを挟んで、午後から終業式を行うという形をとっている。皆、午前中は授業になど身が入らない。
そういう俺には、それ以外にも気にかかることがあった。鈴木さんと、部員のことだ。ハゲタカは昨日と変わらず、机に突っ伏している。その原因は、恐らく鈴木さんに関係している。
今週の月曜、鈴木さんが来てから、何かいつもと違う。最初俺はレオのことばかり気にしていた。レオは鈴木さんのようなタイプの人間が苦手だ。レオが彼女に対して不快感を抱くことは仕方ないとして、それに対する周りの反応が必要以上にレオを傷つけないよう、俺は立ち回っていた。
だが、今から考えれば、俺がそうする必要もなかったのかもしれない。鈴木さんの多少身勝手な行動に、初めこそレオも苛立ちを覚えていたが、冷静に考えれば彼女だって行く当てがなく困っているのだ。レオがそう考えたかどうかは定かでないが、昨日の様子を見る限り、レオは鈴木さんに対してそれほどの不快感を抱いていないようだった。
しかしこれで全てが丸く収まった訳ではないようだ。まず、レオのことを考えての俺の行動が、ワニやハゲタカに多少なりとも不快感を与えてしまったらしい。そして、このことについて一昨日ワニと話したのだが、その翌日、つまり昨日ワニの様子がいつもと違った。(これはハイエナから伝え聞いたことだが)
その一昨日の話と言うもの、半分はワニの鈴木さんに対する感情の話であった。ワニの不調の要因に俺の言動が含まれていたのかもしれないが、一昨日の時点でワニが鈴木さんに対して少なからずあまり良い感情を抱いていないことを、この耳で聞いている。
この一週間の不穏な空気の原因が、全て彼女にあるとは思っていない。恐らく、俺たちの全員がそのきっかけを持っていたのだろう。しかし、その火種になったのは、たぶん彼女だ。
チャイムが鳴り、午前の授業が終わった。欠伸を漏らすハゲタカをちらりと見て、俺は席を立ち部室へと向かった。
部室の扉を開けると、奥のソファにワニが寝ていた。開いた漫画本を持ったまま、その右手が胸の上においてある。ワニの他には誰もいない。
「……ワニ」そう呼びかけると、ワニはゆっくり目を開けた。
「あぁ、サイか。……あー、寝てたわー」
「他の奴らは?」
「あー……」ワニは息を吐きながら目をこすった。
「ハゲは知らねぇ。ていうか、お前同じクラスだろ?」
「あぁ、悪い。あいつは教室にいた。他は?」
「ハイエナはぁ……今日も来ねぇんじゃねぇの? 昨日は私物とりに来ただけだろ?」
「そうか……」
ハイエナについても分かっていた。『他の奴ら』という言葉を遣ったが、聞きたいのは初めからレオと鈴木さんについてだけだった。
「レオと有希ちゃんは、知らねぇ。あれから見てない」
ワニは少し投げやりにそう答えた。昨日、俺が部室を出て行った後、レオと鈴木さんが姿を消したことは、その日のうちにワニから聞いていた。そしてなんとなく、まだ姿を現していない気がしていた。
「……電話してみたらいいじゃないか」ワニにそういってみた。
「知らねぇーよ。勝手にいなくなったんだからよぉ。てか、そういうなら、お前が電話しろよ」ワニは、一層投げやりに、そして面倒臭そうに答えた。
「あぁ……」俺も、そこまでしてあいつらを探すつもりは初めからなかった。
そこで会話が途切れた。今、この部屋には俺とワニしかいないのだから、両方が口をつぐめば、当然部屋は静まり返る。俺たちがこの部屋を使い始めたのは1年の9月だ。2年と4ヶ月弱、この部屋で寂しさを感じたことは一度もなかった。
俺はぐるりと部屋を見渡しながら扉のほうへ向き直った。
「お前、終業式出るの」と背後からワニが問いかける。
「……いや」俺はワニのほうを見ず答えると、そのまま部室を出た。
一度教室に戻る。ハゲタカは自分の席でパンをかじっていた。
「ハゲタカ」ハゲタカの席の前まで行って話しかける。
「おう、サイか」
「終業式出るのか?」
「……面倒臭ぇなあ」
「お前、部室行ってろよ」
「……なんで?」
「なんで、って……」
そんな風に返されることなんて、全く予期していなかった。
「ハゲタカ、なんで最近部室に来ないんだ」
「それ、一昨日俺がお前に言った気がする」
その通りだ。一昨日、俺はハゲタカにそう問われた。そして今、俺がハゲタカに問うている。つまり俺たちは2人とも、部室に寄り付かなくなっていた。あそこは、俺たちの居場所だったはずなのに。
「まぁ、行かない理由ももうないんだけどなぁ」ハゲタカは首に手を当て、凝りをほぐすようにしながら言った。ずっと同じ机に突っ伏して寝ていたから、凝ってしまったのだろう。
「もうないっつうか、このままでいても意味ねぇもんな。むしろ、次のチャンスを狙うことを考えたら、このままでいるのは得策じゃあない」
いまいち、何を言っているのか掴みきれないが…………
「そうか!」柄にもなく声を荒げていた。
「な、なんだよ」
「部室に行ってろ。いいな」
「だからなんだよ!?」
「いいな」ハゲタカの肩を掴み、念を押す。
「わかったよ。行きゃいいんだろ」
「よし」
ハゲタカの肩を放して、振り返るが、2、3歩進んだところで、身体を半分ひねりもう一度念を押しておいた。
「いいな、部室に行ってろよ」
「わかったって! 何度言うんだよ!?」
ハゲタカのその顔を見て、教室を後にした。
2.
終業式を行うため生徒を体育館へ促す放送を耳にしながら、体育館からは遠ざかり屋上へ向かう階段を上る。屋上は常に施錠されていて、教務室に保管してある鍵を使わないとその扉を開けることはできないはずなのだが、なぜか合鍵がいくつも存在していて、生徒の1割弱がそれを持っている。
俺はそのうちの一つを内ポケットから取り出した。この鍵は、レオから預かっているものだ。預かっている、という言葉を使っているが、レオが再びこの鍵を手にすることはないだろう。少なくとも俺は、そう願っている。もともとは、ハゲタカが誰かから譲り受けたものだっただろうか。しかし俺たちにはすでに部室という居場所があった。だからこの鍵は不要だったんだ。レオを除いて。
レオは難しい奴で、俺たちともすぐに打ち解けたわけではなかった。俺たちの誰かといさかいを起こして部室にいづらくなったときなど、よくここに来ていた。だからその頃、この鍵はほとんど『レオのもの』だった。
扉の鍵を開けて、俺は屋上へと出た。空は高く、心地よい風が吹く。レオから鍵を預かって以来、俺自身もここへは一度も来ていない。2年前のことが頭を過ぎった。屋上の周囲を高さ2メートルほどのフェンスがぐるりと囲んでいる。その金網に指を引っ掛け、景色を眺める。周りには同じくらいの高さの建物なんて、いくらでもある。この学校で一番高いところに立っても、まだ何かの中に捕らわれているように感じられる。
あの日も俺は、こうしてフェンスの外に目を向けていた。けれどその視線の先にあったのは憂鬱な景色ではなく、屋上の縁に立ち空を眺めるレオだった。俺はフェンス越しにレオに話しかけた。
「おい、とりあえずこっちに来い!」
「……うるせぇな。ひとりにさせてくれって言っただろ」
「何するつもりだ」
「何って……。あいつが悪いわけじゃねぇことくらい分かってんだよ。ただ、つい頭に血が上ってよ、あんなこと言っちまったんだ。だから、こうして頭冷やしてんだろ」
俺はフェンスを登ろうとしたが、なかなか足がかからない。
「……なぁ、サイ」
「何だ?」どうにかフェンスに足をかけながら答える。
「お前、誰かに殴られたことあるか?」
「…………あぁ……あるよ」一瞬、幼い頃の記憶が頭を過ぎったが、今はそんなことはどうでもいい。
「……痛いよな」
「さぁ、どうだったかな。随分昔のことだったから、もう忘れたよ」ようやく1メートルほど登って、上半身がフェンスを越えた。
「けどさ、痛いってことは、相手の拳が俺にぶつかってるってことだ。相手がそこにいて、俺がここにいるってことだ」
「……悪い、よく分からない」腕の力で下半身を持ち上げる。
「それ以外、実感がないんだ。この瞬間、俺がここに存在していることを証明できない」レオはまるで、ひとりで話しているようだった。
片足をフェンスの上に置き、半身をフェンスの外に運ぶと同時に、フェンスから飛び降りた。2メートルの落下は予想以上の衝撃があり、着地で少しよろけた。身体を支えるために踏み出した右足は、縁のぎりぎりにあった。あと10センチずれていたら、と考えると恐ろしくなる。下を見下ろすと身がすくんだ。
しかしレオに目をやると、レオは下を眺めていた。そしてゆっくりと目を閉じ、深く息を吸う。衝動的に俺は駆け出していた。伸ばした右腕がレオの胸を掴む。その腕に力をこめて、レオの身体を後方のフェンスへと押し付けた。レオの身体を覆うように、自分の身体を、レオと宙との間に置く。
レオは息を荒くし、目を見開いて俺を見ていた。俺も息を荒げている。
「なっ……なんだよ」
「お前こそ、今、何をしようとしてた!?」
「何って…………何でもねぇだろ。お前が……押すから落ちそうになったんじゃねぇか」
しかしそう言ったレオは俺から目を逸らしていた。
「本当だな」
「あ……あぁ…………」
レオの身体を押し飛ばしたあの瞬間は、まるで俺以外の全てが止まっているかのように思えた。だからもしかすると、レオのあの何かを決心したように思えた行動は、ゆっくりと目を閉じたのも深く息を吸ったのも、実はただの瞬きやただの呼吸だったのかもしれない。鼓動が早くなり意識が加速していた俺が、周りのものを実際よりも遅く捉え、レオの行動を誤解してしまったのかもしれない。
……いや、俺の勘違いであるなら、それに越したことはない。何もないと答えたレオの目を直視していない俺には、レオの意志は分かりかねる。あるいは、俺に悟られぬために、レオは目を逸らしたのかもしれない。
そのときチャイムが鳴った。休み時間の終わりを知らせるものだ。
あの時のレオの真意がどうであったとしても、それはすでに過去のことだ。あの日、レオからこの鍵を預かって以来、レオはここへ来ていない。そして今、レオという人間が存在していることを、俺たちが証明できている。この事実は、過去がどうあれ変わることはない。
俺はそう思い、ここへ来た目的を果たすことにした。ポケットから携帯電話を取り出す。メモリーからハイエナの番号を探し出した。なにもハイエナに電話をかける必要なんてないのかもしれない。すでに自分の心は決まっている。これからそれを実行に移す覚悟もある。
ただ、これは俺たち部員の問題で、だからハイエナをのけ者にすることはできないと思った。いや、ハイエナも部員であるから、という理由だけじゃあないだろうな。俺の中でハイエナは何か特別なんだ。変な言い方だけど、俺はハイエナを尊敬している。あいつがいたから、俺たちは今までやって来れたといっても過言ではないだろう。
ハイエナと鈴木さんが、どんな関係なのかは知らない。ハイエナがそのことについて語らないのは、鈴木さんがそれを望んでいないからだろう。彼女が望まぬのなら、俺たちはそれを知らなくとも良いと思う。けれど、どんな事情があったとしても、彼女が俺たちの平和を侵すことは許されない。
携帯電話の発信ボタンを押すと、10秒もしないうちにハイエナは電話に出た。
『――もしもし』
「ハイエナ、ひとつ聞いておきたいことがある」
『……何?』明らかにハイエナの声色が変わったことが分かる。
「鈴木さんのことについてだ。お前と彼女の関係や、彼女の事情については答える必要はない。彼女がそれを望まない限り、お前は答えられないだろうからな」
『…………うん』
「お前は、鈴木さんがここにいていいと思うか?」
ハイエナは何も答えない。どう出るべきか、言葉を探しているのだろう。
「なぜお前がそう答えたかの理由も聞かない。ただお前は、鈴木さんがこのまま俺たちのところにいても問題ないと思うのか、それともそうじゃないのか、それだけを教えてくれ」
『……彼女は……本当は君たちのところにいるのは望ましくない。いや、君たちに限ったことじゃないんだ。彼女にはいるべき場所がある。そこ以外の場所にいることは、彼女にとって望ましくない。鈴木さんの意志に反することなのかもしれないけれど、これは彼女のためなんだ』
ハイエナは俺の望んだこと以上のことを答えてくれた。しかし、どうやら俺の考えが間違っていない、という自信をさらに確たるものにできた。彼女の事情の詳細のところは分からない。けれど、やはり彼女にはいるべき場所がある。
「そうか。それだけ聞ければ充分だ。ありがとう」
『……それを聞いて、君はどうするつもり?』
「大丈夫。彼女に居場所があるなら、俺も安心できる」
そう言って俺は電話を切った。ハイエナの問いには答えずに。
大丈夫。彼女にはちゃんと他に居場所がある。俺はもう一度、念を押すように呟いた。
3.
屋上を後にし、その階段を1階まで下りる。俺たちの部室は部室棟の2階にあり、今俺がいる教室棟と部室棟は2階でつながっているから、本来は1階まで降りる必要はない。しかし、屋上へつながる東階段から、2階の廊下を横切り部室棟へ渡ろうとすると、途中で体育館の2階のギャラリーへと通じる渡り廊下の前を通らなければならない。念のためそれは避けたい。そのため、少し遠回りになるが、一度外へ出て部室棟を目指す経路をとっている。
途中、何度か携帯が震えた。さっき、会話を打ち切る形で電話を切ったから、ハイエナがかけ直してきているのだ。けれど俺はそれに出ず、仕舞いには電源を切った。さっきの電話で俺の聞きたいことは全て聞いた。俺にはもう、必要な言葉は何もない。
1階まで下り、正面玄関から外へ出ると、校門のところにレオがいた。辺りに人がいないか確認しているようだ。
「……レオ」呼びかけると、一瞬驚いたようだが、俺と知って安心したようだ。
「大丈夫だ。今は終業式の最中だから誰もいない」レオが何を案じているのかは分かっている。
俺の声に、校門の陰に隠れていた鈴木さんが姿を現した。鈴木さんには大きすぎるパーカーを着て、フードを深く被っている。この服は、いつかレオが着ていたのを見たことがある。
「サイ……ちょっといいか」
「……とりあえず、部室に行かないか」
レオの言葉を制し、俺が先頭を行く形で部室へ向かった。その道中、誰も言葉を発することはなかった。
部室の扉を開け、先にレオと鈴木さんを中へ通す。
「レオ……に有希ちゃんも……どこ行ってたんだよ」ワニの声を聞きながら俺も部室に入る。レオがいつも座っている座椅子にはハゲタカが座っていた。それを見てレオは、ハイエナがいつもそうするように、腰くらいの高さの棚に凭れる。そのすぐ横に、鈴木さんも同じように棚に凭れた。それを見届けると俺は扉を背にするように立つ。誰もこの部屋から出ないように。
「みんな、話があるんだ。……鈴木さんのことで」全員が俺に視線を向ける。だが、誰も言葉を発することはなく、俺の言葉を待っている。レオと鈴木さんが部室に戻ってきた時点で、誰かがこの話を始めることは、みんな解っていたのだろう。
「月曜日、鈴木さんがこの部室に来た。行く当てがないからと、それから鈴木さんはこの部屋に寝泊りしている。鈴木さんが詳しい事情を話そうとしなかったから、俺たちもそれについて詮索したりはしなかった」
みんな俺をじっと見ていたが、鈴木さんだけは視線を伏せた。
「鈴木さんが本当に困っているなら、俺は彼女の力になってやりたいと思う」
「本当に、って何だよ?」ここで初めてハゲタカが口を開いた。
「サイ、そのことだけど……」ハゲタカの問いに答えるようにレオが切り出す。しかし俺は、それを制すように手をかざして、話を続けた。
「これは、俺の推測でしかないんだが……彼女は本当に行く当てがないわけじゃなく、ただ帰りたくないだけじゃないだろうか」鈴木さんは視線を下に向けたままだ。
「家出……とかか?」ハゲタカが言う。
「さぁ……具体的な理由は知らない。けれどもし俺の考えが当たっていたなら、鈴木さんがここにいることは得策だろうか? それは問題からの逃避であって、根本的な解決にはならない」
「出て行けって言うのかよ!?」ハゲタカが立ち上がる。
「そうは言ってない。戻るべきだと言っているんだ」
「同じことじゃねぇか!」
「待てよハゲタカ」レオがハゲタカを制し、俺のほうに向き直る。
「サイ、お前の考えは大体合ってる。けど、有希は何かから逃げ出してここに来たわけじゃない。ある意味で、ここにいることが目的なんだ」
「……意味分かんねぇよ」ハゲタカはそういうが、恐らくレオは、鈴木さんが皆に知られたくないことを隠しつつ話しているんだ。
「あのさ……」今まで黙って話を聞いていたワニが口を開いた。
「有希ちゃんが話したくねぇって言うなら、俺たちがその事情についてどうこう言ったって、何の意味もねぇよ。だからここは有希ちゃんの事情を抜きにして、今わかっている事実だけで考えるべきだ」今度はみんなの視線がワニに集まる。
「まず……レオは、ここにいることが有希ちゃんの目的って言ったけど、事実として有希ちゃんがここに来るまで、俺たちと有希ちゃんには一切何の関係もなかった。ハイエナって言う共通の知り合いがいたことも事実だけど、それは結果論だ。双方が、相手をハイエナの知り合いとして認識していなかった。……そうだよな?」
「……あぁ」
「そうだ」レオもそれを認める。ハゲタカは何も言わずに頷いたが、鈴木さんは依然下を向いている。
「……有希ちゃんも、そうだよな」ワニがもう一度尋ねると、鈴木さんはこくんと頷いた。全員の返答を確認してから、ワニは話を続けた。
「だったら、レオの言う『ここ』っていうのは、比喩的な意味であって物理的にこの部室を指しているとは考えにくい。この部室に限らずとも、有希ちゃんの目的を満たすことができる。……そうだろ、レオ?」
「誰にも迷惑はかからない。有希はただ、ここで普通に過ごしていたいんだ」問いと回答にずれがあるレオらしくない答えだ。
「自分から話すことをしなければ、俺たちはそれを理解してやることはできない。レオ、俺の言ってることが正しいか否か、それだけを答えてくれ」
「……そうだ。俺たちの部室に限らない」レオは一瞬ためらったものの、鈴木さんを気にしつつ、そう答えた。
「だったら、有希ちゃんをここにいていいのか否かは、俺たちの許可次第だ」
「許可って……だったら俺は勿論、許す!」すぐさまハゲタカが言った。
「何があったのかは知らなくても、困っていることは確かだろ。ここにいることで、有希ちゃんの望みがかなうなら、拒む理由なんてねぇじゃんか!」今はそういう感情論を排除する前提で話し合っている、と告げようとも思ったが止めておいた。悪く言うわけじゃないが、ハゲタカはどうしてもそういう考え方をしてしまう奴だ。
しばらく沈黙が続いたが、もう一度この状況を整理するようにワニが口を開いた。
「有希ちゃんがここにいていいかどうかをこの場で決めようとしているワケじゃない。有希ちゃんが口を閉ざし続けるなら、そうせざるを得ないって言ってるんだ。有希ちゃんのことを知らなければ、俺たちはそれについて考えようがない」
そう、次に口を開くべきは鈴木さんだ。俺たちは、彼女の言葉を待っている。彼女を受け入れようとするなら、俺たちは彼女について知らなくてはならない。
「……有希」レオが促す。
「…………私は」
そのとき、急に俺の背後の扉が開いた。皆がそちらに視線を向ける。そこにはハイエナが立っていた。走ってきたのか息を切らしている。そしてなにより私服だ。
「サイ……待ってくれ。君がそんなことをする必要はないんだ」
4.
俺は上半身だけをひねり、開けっ放しの扉に手を突いて息を切らしているハイエナを見下ろしていた。私服ということは、俺が電話をかけた時点ではまだ自宅にいたのだろう。
チャイムが鳴った。2学期の終業式が終わり、放課となる。
「……ハイエナ。俺が、何をするって?」とぼけてみた。
「君が、そんな役回りを買う必要はない。僕が引き受けるよ」
とぼけてみたが、ハイエナが全てを知っていることは解っていた。
「……おい、何のことを言ってんだよ? 2人だけで会話すんじゃねぇよ」そういったのはハゲタカだった。息を整えたハイエナが、ハゲタカに向き直る。が、
「ちょっといいか」ハイエナより先に口を開いたのはワニだった。
「ハイエナ。お前カッコつけすぎ」
「……え?」
「何、途中から割り込んできて、勝手に幕引こうとしてんだよ。とりあえずお前はよ、有希ちゃん連れて出て行け」そういいながらワニは鈴木さんの背を押して促す。
「ワニ……何を?」ハイエナはワニの本意を掴み兼ねているが、俺もワニが何をしようとしているのか分からなかった。
「おい、なんだよ」そういうレオを、ワニは目でなだめる。
「ほら、終業式も終わったから、体育館にでも行ってろよ」ワニは半ば無理やり、鈴木さんとハイエナを追い出す。
「だけど……」
「大丈夫」
「……あ、あぁ、分かった」
ワニが扉を閉めると、部屋の中は一気に静かになった。
「どういうつもりだよ」初めに口を開いたのはレオだった。しかしワニは、一度レオを見はしたものの、レオの問いには答えず俺のほうに向き直った。
「サイ、お前もカッコつけすぎ」
「……何がだ?」
「他人のこと考えてる風を装うなよ。お前、これで終わっていいのか? いや、結果的にはお前の望み通りになるだろうけどよ。ハイエナが悪役を買ってくれて、お前はそれに便乗して、思ってること口にしないまま終わっていのか?」
一昨日のことを思い出す。するとワニにも、俺の思惑を読まれているのかもしれない。
「おい、だからさ! お前ら何言ってんのか、さっぱり分かんねぇんだけど!」またハゲタカが叫ぶ。それに、ワニがソファに再び腰掛けつつ答えた。
「まぁ、あと2ヶ月ちょいで卒業じゃんかぁ。ここで腹割って話してみんのもいいんじゃねぇのってこと」
そして俺は、一呼吸置いてからゆっくり口を開いた。
「……この5日間、行く当てがないという鈴木さんをこの部室においてやっていたが、正直なところ俺はそれを快く思っていなかった」
「そんなもん……知ってるよ」ハゲタカがいう。
「お前もレオも、ここんとこ全然部室に顔出さねぇしよ。それに一昨日だったか、お前、俺が有希ちゃんのことどう思うか聞いたら、気に食わねぇって言ってたじゃんか」
「……そうだな。だけど、その言葉は本意ではない。俺は鈴木さんという人間を嫌っているわけじゃあない。俺が快く思わないのは、彼女がここにいることで、俺たちが変わってしまったことだ」
「…………は? なんだそれ」
「俺は、この部屋が好きなんだ。この部屋でお前らといることが楽しかった。だけど彼女が来て、少なからず部室の雰囲気が変わった。あの不穏な空気が、俺は嫌いだった」
「……悪い。やっぱりよく分かんねぇ」そう言ってハゲタカは首をかしげる。
「まぁさー」ここで再びワニが口を開く。
「あいつが来て、少なからず楽しくねぇことがみんなあっただろ。だからって別に、有希ちゃんを悪者扱いする気はねぇけど。……初めは、レオがつんけんしだしてよぉ」その言葉を聞いて、レオは眉間にしわを寄せたが、しかし何も言わなかった。
「そんでサイが要らねぇ気遣いし始めて、それに対して俺たちは気分悪くして」レオが俺のほうを見る。
「サイの奴、レオが部室に来ないとお前ひとりが俺たちに疎まれると思って、自分もここに来るの避けてたらしいぜ」俺の代わりにワニが全て話した。
「……なんだそれ」レオはそれしか言わなかった。ワニが話を続ける。
「そういう俺も、諸手を挙げて歓迎ってワケじゃあないんだけどなぁ。あっちに悪気がねぇことは解っててもよ、『ワニって面白い人』だの『何がワニらしい』だの言われると、会って数日でお前は俺の何を知ってんだよ、って思っちまってさ。まぁ、それは俺の根性がひん曲がってんのが悪いんだけど。有希ちゃんのお陰で、思い出したくない昔のことも思い出しちゃったしなぁ。……なぁ?」ワニはレオに同意を求めた。
「…………あぁ」レオはワニから目を逸らしつつも、そう答えた。
しかし、俺はそれを知らなかった。単純に、鈴木さんのような人間と気がそぐわないから、彼女を避けていたのかと思っていたが。そんなことを考えてレオの顔を見ていると、レオも俺を見返して言った。
「……なんだよ。もうしねぇよ、あんなこと」その言葉を聞いて、少し安心する。
「そういうことだったらしく、レオもワニも、何か様子がおかしかった。ハゲタカ、お前もな。俺はそれが嫌だったんだ」
「……俺? 俺が何か変だったか?」ハゲタカはそうとぼけた。
「お前、ここでとぼけきれると思ってんのか?」そのワニの言葉に、ハゲタカはすぐに口を開いた。
「あー…………告白した。そんでふられた! だから、ちょっと落ち込んでみたりもしたけど」
ハゲタカは頭をかきながら、照れ隠しに投げやりな口調でそう言った。だが、ハゲタカの様子がおかしかったのが、そういうことだったとは知らなかった。しかしレオとワニは、別に何の反応も示さない。
「なんだよ! なんか言えよ!」ハゲタカが、これも照れ隠しにそう叫ぶ。
「まぁ、なんとなく分かってたし」とワニ。
「お、おぉ……部室にいたワニと、クラス同じサイには勘付かれてたとして……レオは、なんなんだよ」実のところ俺は思いもしなかったのだが、勘付いていたと思われているならと、知ったかぶっておいた。
「有希から聞いた」レオは端的にそう言った。
「おぉ、お、おぉ……おぉ、そうか。ていうか、なんで言ってんだよ」ハゲタカは顔を真っ赤にしている。
「……それで」そんなハゲタカを脇目にワニが言った。
「お前たちはいつの間に、そんな話するほど仲良くなったんだよ」
「……あいつは、ある意味で俺と同じだ」
「ふーん」
ワニはその言葉で全てを片付けた。今のレオの言葉でワニが全てを理解したとは思えない。俺もレオの言葉の意味することを掴み兼ねている。しかし、ハイエナと同じように、レオも自らの口から鈴木さんの秘密を語るべきでないと思っているのだろうと、ワニなりにレオの気持ちを配慮した言葉だったのかもしれない。
「それで、どうすんだよ」ハゲタカが言った。
「……何がだ?」
「何がって、もともと有希ちゃんがここにいていいかどうかって話だっただろ」
「まぁ、どっちでもいいんじゃねぇ」いつもの間延びした口調で答えたのはワニだ。
「どっちでもいいって、結局そうなるなら初めから……」
「俺たちが腹を割って話したから、そういう結果になるんだ」レオがそう言う。そしてそれを引き継ぐ形でワニが続けた。
「俺たちは腹を割って互いの思いを知ったから、あとは有希ちゃんがいたいと思えばいればいいし、そうじゃなけりゃあ出て行けばいいし。そうだよな、サイ?」
「……あぁ」
今まで俺たちは、各々が自分の気持ちを自分の中に抑えていた。けれどこうやって話すことで、俺たちは互いの思いを知った。だったら、俺たちはたぶん彼女を受け入れられる。
「なぁ、レオ。ハイエナが入ってきて話が途切れたけどさ、有希ちゃんは話そうとしてたんだよな?」ワニが言った。
「あぁ、たぶんな」レオの言葉を聞いてワニが立ち上がる。
「よし、じゃあ、話の続きを聞きに行くか」
5.
ワニに部室を追い出されて、僕は鈴木さんの半歩後を行く形でとぼとぼと廊下を歩いている。僕らはとりあえず、終業式も終わり誰もいないはずの体育館を目指していた。鈴木さんは、少し俯き気味に歩いている。そんな彼女の横顔をやや後方から見ながら、僕は昨日のことを思い出していた。
「……なんで、鈴木さんがここにいるんですか」
部室棟の西階段の踊り場で、僕は鈴木さんと向かい合っていた。鈴木さんは俯いてたまま、ごめんねと呟いた。ごめん? 僕の言葉が責めているように聞こえたのか。
「なにも……全く責めてなんていませんよ」
それから少しの沈黙を挟んで、鈴木さんは口を開いた。
「……驚いたな。部員の最後のひとりが英生くんだったなんて」
「僕も驚きましたよ。まさかこんな所であなたに会うなんて」
しかし、鈴木さんはまた口を閉ざしてしまった。仕方なく、もう一度僕から尋ねた。
「どうして、鈴木さんがここにいるんですか」
「……偶然ね、レオに会ったの」鈴木さんはそう細く答えた。けれど、それは僕のほしい答えじゃない。僕が聞きたいのは、ここに来た経緯じゃない。
「どうして……あなたがいるべき所にいないんですか」
少し言葉がきつくなってしまったか。そう悔いたとき、
「あんなの」鈴木さんはそう、今までよりは声を張って言った。誰もいない階段に、その言葉がかすかに反響した。そして鈴木さんは、また細く、しかし力をこめて言った。
「あんなの……生きてるって言えるの?」
細々としたその言葉は、空間に響くことはなかったが、しかし僕の心には何度も反響して鳴り止まずにいた。僕をじっと見据えた鈴木さんの目には、うっすらと涙が滲んでいた。鈴木さんは涙を隠すように、再び俯いてしまった。
僕はそんな鈴木さんを見ながら、彼女に掛けてやる言葉を必死に探した。けれどそれは見つからなかった。自分の無力さが嫌になる。
視界の隅にちらりと人影が見え、そちらに目をやる。レオだった。レオは真剣な眼差しで僕を見下ろす。一度視線を鈴木さんへと戻した。こんなとき、もしかするとレオのほうが良い言葉を掛けてやれるのかもしれない。
僕はそう考え、階段をレオのほうへ上っていった。
「レオ……」
レオに彼女のことを託そうと声をかけたが、レオは僕を過ぎ去って階段を下りていった。僕は彼の背中を見下ろした。
「有希」彼が、彼女に声をかけるのを見届けて、僕は部室へと戻った。
体育館にはやはり誰もいなかった。体育館に入っても鈴木さんは、どこへ向かうわけでもなく、ふらふらとゆっくり歩いている。その背中に僕は声をかけた。
「あいつらのことを、気にしてるんですか」
鈴木さんは足を止めた。
「あいつらは、あなたのことを迷惑だなんて思ってませんよ」
鈴木さんはゆっくり首を横に振って、ゆっくりと僕のほうへ身体を向けた。
「みんながそう思ってなくても、やっぱりいけないことだった」
事実だけを考えれば、鈴木さんがここにいることは望ましいことではない。だからといって、鈴木さんのその言葉を肯定してやるのもどうなんだ。そんなことを考えて、僕は黙ってしまった。そしてその沈黙が、鈴木さんに僕の心を悟らせてしまったようだ。鈴木さんは真下を向くように俯いて言った。
「……私、戻るよ」
「そうですね。それがいいと思います」
僕がそう言って近づくと、彼女は静かに泣いていた。その涙が、ここでの生活との決別が辛いからなのか、それとも戻った後の生活が嫌だからなのか判断がつかなかった。どちらとも、涙するほど辛いものではないように思われるが、彼女にしてみればそれは違うのだろうか。なんにせよ、二度と彼女はレオたちに会えないなんてことはないんだ。彼らはいつでも彼女に会いにいける。だからこれは別れなんかじゃないし、あそこでの生活もこれまでよりは辛くないだろう。
「私みんなの優しさに甘えてた」鈴木さんは呟くように言った。
掛ける言葉が見つからない。
そのとき、背後に人の気配を感じだ。振り返るとレオがいた。その後ろにワニとサイ、そしてハゲタカがいる。
レオは鈴木さんの様子を見ると、すぐに駆け寄ってきた。
「……どうした、有希」
しかし鈴木さんは何も言わず、袖で涙を拭う。レオは何があったのかと問うように僕を見た。だが、鈴木さんの決断は、鈴木さんの口から伝えられるべきだ。僕もそれを伝えるように、視線を鈴木さんへと移す。
「有希……」レオがもう一度名前を呼ぶと、鈴木さんはぱっと顔を上げて言った。
「私ね、戻ることにした」鈴木さんは微笑んでいたが、目はまだうっすらと赤い。
「戻るって……」ハゲタカが言う。
「出て行くってこと? さっきのサイの言葉を気にしてるんだったら、それはもういいんだ。有希ちゃんがここにいたいと思うなら、いてもいいんだ」
しかし鈴木さんは首を横に振った。
「ううん……ホントはね、行く当てがないなんて嘘なんだ」
「けど、お前はそれでいいのか?」今度はレオが言った。
「レオ、鈴木さんは……」
「知ってる」僕の声は、レオの言葉に打ち消された。
「……え?」
「全部知ってる。全部、有希から聞いた」知ってる? だったらなんでこんなことを?
「有希、これで終わっていいのかよ? 戻ったら、もうここには来れなくなるんだろ」レオは力をこめて言った。
「もう来れなくなるって……どういうことだよ?」ワニたちはまだ事情を知らないようで困惑している。
「うん、もう充分だよ。もう……」
「まだ充分なんかじゃないだろ! ほんの5日間で、何が充分なんだ」レオは鈴木さんの言葉すら遮っていた。
「レオ、ちょっといいかな」
「なぁ、有希!」
「レオ!」
僕の声が体育館に響き渡った。そしてその反響が止むと、一気に静けさが訪れた。
「レオ、知ってるって……」息を整えながら言う。
「あぁ、全部、有希から聞いた」
「だったらなんでこんなこと」
「なんで? だってそれが、有希の望んだことだろ」
彼女の望んだことだって? 確かに、彼女がそう望んだことは事実だ。けれど、それは彼女のためにはならないことだ。
「レオ、君は、彼女のことを考えてそんなことを言っているのか?」レオの眉がぴくりと動いた。言葉がきつくなってしまっただろうか。そう思い、ここで言葉を切ろうとしたが、しかしその思いに反して次の言葉は放たれてしまった。
「君は、彼女を利用したいだけだ」
一瞬の出来事だった。気付くとレオの左手は、僕の胸倉を捕らえていた。ワニがレオを制そうと、肩に手を掛けたがそれは払い飛ばされた。
「レオ! やめてよ!」鈴木さんの声が聞こえたが、それはまるで遠くの音のように思えた。
「レオ、君は鈴木さんに何を期待しているんだ」
「お前に、俺や有希の気持ちが分かるのか?」
「だったら、君に彼女が救えるというのか?」
レオの左手に一層力が入った。殴られるかと覚悟したが、拳は飛んでこなかった。
「お前は、有希を救えるのか?」
皆が僕たちを治めようと口々に何か言っているが、僕にその声は聞こえていなかった。
「……救えないよ」かすれそうな声で言う。
「ここにいる誰も、彼女を救うことなんてできない」
「おい! 大丈夫か!?」
サイのその声で、はっと我に返った。
レオは僕の胸倉を掴んできた左手を離し、視界の下方に沈んでいった。
レオの姿を追ってゆっくり視線を下ろすと、そこには鈴木さんが倒れていた。